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花 茨(はないばら)

本日は新生大学・レディースセミナーに招いていただいて有り難うございます。講演の演題 を「いのちの尊厳、老いへの共感と医療実践」とさせていただきましたが、現実は「いのちの尊厳」とはほど遠い医療の実態があります。各人の過去がそれぞれ異なるように、死に至る時間もかたちもそれぞれ異なります。一般論としていのちの尊厳や尊厳死を語ることは、それほど難しいことではありませんが、空虚な感がします。「いのちの尊厳」を守る医療と現実の終末期医療の狭間で、今も私は悩み続けています。医師として仕事を始めて現在に至るまで、全ての入院患者さんの入院記録を手元に残しています。京都からこちらに帰ってくるときも、その記録だけは大切に持ってきました。35年間、約18000人の詳細な退院サマリーが、今も病院の私の部屋にあります。受け持った一人ひとりに深い想いが込められています。大学を卒業して臨床に入って最初に受け持ったのが肺癌の末期の患者さんでした。癌の転移で胸や心臓の周りに水が溜まり、連日胸水や心嚢液を取り除く処置に追われました。貧しい地域の人でしたが、家族の絆は強い人でした。医療費を無視して日夜治療に励んだのを思い出します。その老人の死から今まで、無数のいのちの終わりに関わってきました。生涯の師と巡り会い、医師としての倫理観、生き方を教えられた日々を送ることが出来たのも幸運でした。今でもその先生からは励ましの手紙が来ます。また医師として初期の頃、急性骨髄性白血病の若い女性を受け持ったことがあります。京都市内のホテル・レストランで働いていた二十歳の女性で、結婚して一ヶ月しかたっていませんでした。現在のような骨髄移植も無く、限られた抗ガン剤で治療していくしかなかったのを覚えています。丁度今頃の季節でした。同じ職場の新郎が仕事を終えて、毎晩付き添っていたのを思い出します。病室の窓からは初夏の陽を受けて、京の屋並みが輝いていました。抗ガン剤の副作用で髪も抜け、食欲もなくなり、衰弱していきましたが、夫への甘えが唯一救いでした。窓の外を見ながら、「何故自分だけがこんな病気にならなければならないのか、同年代の人は、陽光の中で人生を謳歌しているのに」とつぶやいているようでした。こんな不公平があっていいのでしょうかとわたしに問いかけます。この問いかけに、どのように答えたらいいのでしょうか。自問自答の日々は現在まで続いています。35年間続き、わたしのいのちが尽きるときまで続いていくと思います。入院して二ヶ月あまりで亡くなられました。輝かしい人生の門出が、一瞬のうちに奪われてしまった無念さはどれほどだったでしょうか。この世の不公平を訴える彼女に、返す言葉はありませんでした。じっと窓の外を互いに無言で眺めるしかなかったのです。死の受容は、良く生きた人の中で醸造されます。死の淵にあっても希望を失わないことが大切だと思います。仏教には「定命」(じょうみょう)という考えがあります。人は生まれたときに、それぞれの「定められた命」があると考えます。「マルチンのろうそく」という童話を小さいときに読んで、何故マルチンだけろうそくが短いのだろうかと考えました。みんな長いろうそくを持っているのに、マルチンのろうそくはもう消えかかっていました。しかし、最後の光の中でいのちを見事に昇華して行ったマルチンにとって、時間の流れは濃密でした。より長く生きるより、どれだけ良く生きたかが問題です。定命と考え、今を必死になって生きることが大切だと思います。「花いばら古郷の路に似たるかな」(蕪村) 野茨の花は仄かな香りで郷愁を誘います。故郷の山や川の土手に茨の花が咲き、淡い香りが漂ってきます。「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」(蕪村) 憂愁という印象がこの花には付きまといます。香りに惹かれて野茨に出逢い、丘の上から地上の人間界を見下ろす蕪村がいます。花いばらが故郷を呼 ぶのでしょうか。これほど憂いを誘う花はありません。

編集責任者 香川井下病院 内科 松村憲太郎

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